いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
皆さんは、何かコンプレックスがありますでしょうか。
『この分野は苦手だ』
『この人には何をやっても勝てない』
という気持ちになったことは一度はあるのではないでしょうか。
私の人生はずっとそうでした。
コンプレックスがあると嫌だなと思うし、コンプレックスなんか無ければ良いのにと思いますよね。
しかし、コンプレックスがあること、コンプレックスを感じることはとても大切なことです。
ということで今回は、
【コンプレックスの取説】コンプレックスは克服するのではなく、力にすることで人生うまくいく。
という内容をお伝えします。
コンプレックスがあるとなぜ良いのかを私の個人的エピソードを交えながら、お伝えします。
私のこれまでの人生を振り返ってみると、コンプレックスを力に変えてきた人生だったように思います。
それでは早速、コンプレックスを力に変える方法を確認していきましょう。
劣等感を味わう人生は小学校時代から
私の劣等感を感じる人生は早くも小学校時代から始まります。
というのも小学校低学年から塾に通っていました。
その塾は優秀な人が多く、最終的に中学入試で日本最難関の灘中学に受かるような人も何人かいるような塾でした。(岡山生まれで岡山市内の塾に通っていました。)
塾では毎週のようにテストがあります。
大きな塾ではありませんでしたが、その中で常に私は下位層におり、劣等感を抱いていました。
小学校生活は友達も多くてとても楽しいものでしたが、放課後にもっと皆で外で遊びたいのにいつも早く帰って、全く楽しくない塾に行くという日々でした。
確かに塾のおかげで、小学校の中では10番以内くらいの成績だったと思いますが、塾の中では立場が逆です。
そして、運が不運か、その塾には幼稚園が同じだった幼馴染がいました。
彼は全国模試で名前が冊子に載るくらい優秀で、もちろん灘中学にも受かりました。
そんな中で圧倒的な劣等感に苦しみながらも、必死に頑張り、何とか県内で1番の進学校に受かることができました。
思い返せば、小学校時代から学業で周りと比較される生活で劣等感を感じ、その劣等感を感じたくないが故に、なんとか頑張るという日々だったのです。
しかし、小学校は「劣等感人生」の序章に過ぎません。
県内一の進学校(中高一貫校)に進学したことで、中学・高校時代はさらなら劣等感に悩まされることになるのです。
劣等感しかない中学・高校時代
県内一の進学校ということで、生徒は県内の至る所から、そして県外からも来ていました。
当然、ギリギリで受かった私は、学内でのテストでも成績が良い訳がありません。
そこに追い打ちをかけることが2つあったのです。
それは、
- 中学1年のときに、5個上の同じ学校に通っていた兄が東大理Ⅲに受かったこと
- 前述の優秀な幼馴染も同じ学校に通っていたこと
です。
兄が日本最高学府の最難関の学部である東京大学医学部に受かったことは、もちろん素晴らしく喜ばしいことですが、弟としては悲劇です。
友達にも学校の先生にも、「理Ⅲの弟」という目で見られるのです。
周りはそんなつもりはなくても、当の本人はそう感じてしまっていました。
そんな中、残りの学校生活の5年間を過ごすのはとてもストレスでした。
進学校なのでテストや模試も多く、周りとの比較も激しいため、成績が良い人にとっては楽しいかもしれませんが、成績が良くない私にとっては二重のストレスでした。
さらに、優秀な幼馴染はいつも成績上位で入学当初から卒業するまで常に順位は1桁台でした。
そんな彼とは、バレーボール部で一緒で高校時代は彼がキャプテンで私が副キャプテンをしていました。
県内でベスト8だったので、部活も頑張っていたのですが、部活でも彼の方が活躍するのが早く、キャプテンとしてチームを引っ張っていました。
幼馴染の存在は、どうしても比較してしまい、辛かったです。
中高時代は、自分の実力の無さと優秀な兄と幼馴染の存在による三重苦に苦しんでいました。
そんな兄と幼馴染の存在を感じつつ、大学受験を迎えました。
私は受験に失敗し、浪人生活を送ることに。
そして、幼馴染の方は、なんと言うことでしょうか。
彼も兄と同じ、東大理Ⅲに受かってしまったのです。
もはや、私は自分ではなく周りを優秀にする学業の神様なんじゃないかと思ってしまうほどです。
兄と彼だけでなく、進学校なので同級生は東大合格や医学部合格だらけです。
結局浪人しても第一志望の大学には受からず、何とか合格した大学に通うことになりました。
大学受験は本当に辛かったです。
しかし、まだまだ劣等感の日々は続きます。
幼馴染とは離れることになりましたが、兄の存在は一生つきまとうのです。
周りを見返したいという強い気持ちで望んだ就活
大学時代は、学業の競争から離れることができ、友達もたくさんできて、とても楽しい時間でした。
楽しい大学生活でしたが、大学時代におけるほぼ唯一かつ最大の競争と言えるのが、就活です。
これだけは絶対に頑張って、兄や幼馴染、あるいはその他の中高時代の優秀な友達を見返したいと思い、少し早めから頑張っていました。
絶対に第一志望の会社に受かって、周りに認めてもらうんだ、そういう気持ちがとても強かったです。
しかし、就活中にある外資系の有名企業の社員さんに怒られて泣いたこともありました。
選考から落ちて、不安な日々もありました。
それでも、なんとか第一志望の会社から内定を貰えたのです。
内定を貰えた瞬間、1番に兄に連絡したのをとてもよく覚えています。
医学部の兄でももちろん存在を知っており、東大生にも人気で受かるのが難しいとされている会社から内定を貰えたことは、何か兄から認めてもらえたようで、そして小学校から今までの全ての劣等感と努力が報われたような気がして、とても晴れやかな気持ちになりました。
周りではなく、始めて自分が上位になれた気がして、とても嬉しかったのです。
コンプレックスを力に
少し長かったと思いますが、コンプレックスを感じ続けた私の人生を振り返ってみました。
兄弟がいる方や学業に関わらずスポーツなどでライバルがいた方は、うんうんと頷きながら読んでくださっていたかもしれません。
私が今回言いたいのは、以下の3つです。
- コンプレックスが悪いのではなく、コンプレックスを感じて、どう行動するのかが1番大切。
- コンプレックスは克服するものではなく、力に変えるべきものである。
- 周りと比較することでやる気や力が出ることもしばしばある。であれば、あえて他人と比較するのも良いことである。
誰しもがコンプレックスがあったり、周りと比較して劣等感を感じることがあるでしょう。
それはおそらく、私の兄も幼馴染もそうです。
彼らは学業ではコンプレックスが無かったかもしれません。
しかし、そんな彼らもおそらく何かでコンプレックスを感じているはずです。
自分にコンプレックスを感じているなら、そのコンプレックスを克服する、あるいは、そのコンプレックスを帳消しにするくらい、得意分野で頑張ることが大切なのではないでしょうか。
生まれつきの能力に差はあります。
世の中は平等なんかじゃ、決してありません。
そのことを受け入れて、その不平等さに対する苛立ちをパワーに変えていきましょう。
苛立ちをしっかり行動に移すことが大切なのだと、私は自分の人生から学ぶことができたのだと思います。
どちらかと言うと辛いことが多い人生でしたが、その分、得るものも大きかったと今では思っています。
—最後に—
今回は、コンプレックスを力に変えるという内容をお伝えしました。
ここまでこれたのも、兄や幼馴染の存在のおかげだと思っています。
辛かったのは事実ですが、彼らの存在が無ければ、また、コンプレックスを感じることが無ければ、今の自分はいなかったでしょう。
今も会社で劣等感を感じる日々ですが、これまでの経験をもとに、この劣等感を力に変え続けていきたいと思っています。
他人と比較する必要はないという風潮も世の中にはありますが、決してそんなことはないと思います。
世の中はまだまだ学歴社会で競争社会です。資本主義の世の中です。
過去を振り返っても、他の種との生存競争、そして、人類の中でも競争があったから、人類はここまで進化してこれたのではないでしょうか。
これからも辛さをパワーに変えて、あの時の辛さのおかげで今の自分があると言えるような人生にしたいと思っていますし、皆さんも是非そんな人生にしていってください。
それでは最後に、アルフレッド・アドラーの言葉を紹介して終わりとします。
コンプレックスを理由にして、現実から逃げ出す人はいる。
でも、コンプレックスをバネにして、大成功をする人もたくさんいるのだ。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう!
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